【歴史】世界初の株式会社の話

株式会社の始まりを簡単にまとめます。

オランダとイギリスの覇権争い

16世紀半ばにアメリカ大陸が発見され、スペインが植民地のポトシ(現ボリビア)で銀鉱脈を発見すると、先住民のインディオの強制労働により、大量の銀が採掘された。

100年間に世界中の銀の半分が産出され、ヨーロッパでは銀の価値が大暴落した。

急激なインフレーションは領主にとって大きな痛手となり、各国の封建制が崩壊する一因となった。

 

覇権国となったスペインだったが、オランダ独立戦争に端を発するイギリス出兵(1588年、無敵艦隊の海戦)で返り討ちに遭い、大損害を被る。

失墜の始まったスペインに代わってオランダとイギリスがのし上がり、海上貿易の覇権を争うようになる。

 

1600年にはイギリス、1602年にはオランダが、アジア貿易を取り仕切るためにそれぞれ東インド会社(訳語が同一だが別会社)を設立する。

覇権争いは、オランダの圧倒的な優勢となった。

長年の貿易で培った造船、航海技術があるとはいえ、独立戦争も終わっていないこの小国が躍進できた背景には、近代的な資本収集システムがあった。

世界初の株式会社

イギリスの東インド会社は、植民地支配の目的でエリザベス一世からアジア貿易の独占許可を得て、アジアへの長距離航海を行っていた。

この航海の際に出資金を募るのだが、当時の商慣習では航海の度に集め、帰ってくると利益を分配する、という形式だった。

さらに、出資者には会社の損失に対する責任も課されていた。出資した会社が貸金業者から借りた金を返せなくなった場合、「会社の金は出資者の金」という解釈で、貸金業者は出資者に返済を求めることができたのである。返済額は出資金を超えることもあり得た。

 

一方のオランダの東インド会社では、出資する対象をひとつの航海ごとではなく、貿易という事業全体に広げていた。

これにより利益の分配の時期は遅くなったが、会社としては長期的な事業計画を立てられるようになり、事業の戦略をより深く練りやすくなった。

また、借金の返済について出資者に責任がある点はイギリスと同じだが、その返済は出資金の額に限ると定めた。

総じて、イギリスの東インド会社と比べ資金を集めやすくなり、出資者にとっては資金を供与しやすいシステムだった。

 

さらに、長期的な資金供与に対する出資者の不安(お金はいつ戻ってくるのだろう?)を解消するために、出資証券を売買するシステムが採られた。

会社と同時期に設立されたアムステルダム証券取引所で、証券の転売による資金回収ができるようになったのである。

今の株と厳密には異なるものの、継続的な事業に対する出資が可能であるという観点から、オランダ東インド会社は世界初の株式会社とされている。

革命前夜

これらシステムにより、オランダはイギリスに大差をつけて、アジア貿易での存在感を増していった。

考えてみれば、大陸の最東端、そのうえ鎖国下にある日本にさえ貿易商が訪れていたことからも、当時の影響力の大きさが伺える。

 

しかしオランダの圧倒的な独占的地位も、やがて覆されることになる。

そのきっかけは無敵艦隊の海戦からちょうど100年後の1688年、舞台であるイギリスでは、当のオランダからの総督が新国王として迎えられていた。名誉革命である。


参考文献

≪書籍≫

『新版 金融の基本 この1冊ですべてわかる』 日本実業出版社

≪webサイト≫

「世界史の窓」

ポトシ銀山

東証マネ部!」

●百年から存在していた!?「証券取引所」の歴史 | 東証マネ部!

 

おわりに

次は世界発の国債の話をします。

 

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