【歴史】世界初の国債の話

国債の始まりを簡単にまとめます。

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【歴史】世界初の株式会社の話 - ボツの宮殿

 

名誉革命

1688年、オランダ総督であるオラニエ公ウィレム3世が1万4000人の軍を引き連れてイギリス(イングランド)に上陸した。

総督とはネーデルラント(現在のオランダ王国の国土全体を指す)の各州をまとめ上げる首長、大統領のようなもの。

その彼は国王ジェームズ2世を追放して、妻メアリー2世とともにイギリス国王に即位した。

 

他国のトップが国王に即位することも、そのトップを招いたのがイギリス議会(派)だったことも、その意味するところを一読で理解するのは難しい。

しかし、全てを解説していると話が飛び飛びになるため、一旦はイギリスを中心に流れを整理することにする。

 

主権は議会にある

名誉革命の「名誉」とは「血が流れなかったこと」を指す。

国王ジェームズ2世は抵抗することなく国を去り、ウィリアム(ウィレム)3世とメアリー2世の下、権利の章典を発行し、主権は議会にあることが確認された。

 

イギリスに限らず国家を運営していたのは国王であり、政治の中心は王室だった。

王権ある国家のうち、最も強大だったのはフランスだ。

前回の記事の中でオランダとイギリスの競争を簡単に追ったが、実はその二つの国の経済規模を合計しても、当時のフランスの経済規模には遠く及ばない。

その経済力の中心はフランス王室だ。強大な王権が富を集中させ、庶民はもちろん、他国も太刀打ちできない牙城を築き上げていた。

ウィリアム3世の即位も、このフランスを相手にするために、イギリスとオランダが手を組んだとみることができる。

 

名誉革命以降、フランスはイギリスを敵とみなし、第二次百年戦争ともいわれる対立状態に入る。

国家の運営、特に戦争には財力が必要になる。

フランスが王室の権力のために財力を有しているのに対し、イギリスの経済規模は半分以下。オランダを合わせても不足する。

その財力の差を埋めたのは、先に挙げた権利の章典であり、国家の主権が議会にあるという明示だった。

 

フランスの場合、国政を運営していたのは国王である。

たとえ国王であろうと戦争をするにも金が必要で、場合によっては借金をし、財政赤字が増大する。

しかし、その赤字の責任を持つはずの国王の権力が強すぎたために、強引に借金を踏み倒すなどして、慢性的な赤字でありながら財政が健全化されなかった。

それどころか特権階級ばかり優遇され、金融業を含む庶民にしわ寄せが行くという構造的な悪循環に陥っていた。これが後のフランス革命の主たる原因である。

 

一方のイギリスは、国王は存在するが、主権は議会にある。

国家の財政が悪化した場合、議会が借金返済に対し責任を持つ。

この責任があるからこそ、ウィリアム3世は議会と協調し、当時としては新しい経済施策を実施した。

民間からの融資を受け付け、つまり、世界初の国債を発行したのである。

 

国債の強さ

国債の最大の特徴は、債務の返済が約束されていることだ。

 

フランスのような王室による財政下は、金融業者もリスクヘッジとして高金利を設定せざるを得なかった。

一方、イギリスは国債という形で融資を募った。債権を購入するということは、国家に債務があるということ。その債務の所在は議会にあることが明示されている。このため、金融業者は金利を低く抑えることができたわけである。

 

 

主権が明確なイギリス政府には、信用力があった。

この信用力によって、民間からしてみれば安心して低金利での融資ができ、政府側からしてみれば、利息の負担を抑えることができた。

圧政か協調か。強権的なフランスとの差が、経済規模の差を埋めた最大の理由となった。

 

このような近代的な金融システムは、先に経済的な繁栄を迎えたオランダの手法を取り入れたものである。

1694年、ウィリアム3世はイングランド銀行を設立した。設立に際してはオランダからの資本も多数流入していたという。

オランダにしてみれば、敵対していたイギリスを勢いづけることになり、アジア貿易での繁栄も資金流出という形で失われることになる。

その代わりイギリスはフランスを対抗する経済力を得ることができ、以後18世紀から19世紀初頭にかけて続くフランスとの長き渡る戦争を、多額の借金を背負いながらも耐え抜くことができた。

 

そのような形でのフランスの打倒、絶対王政に代わる民主主義の確立が、ウィリアム3世の目的だったのかは、わからない。事実を整理しても、人の心の中までは解釈は及ばない。

メアリー2世はイングランド銀行が設立された1694年に亡くなり、王位は妹のアン女王に移る。

イギリスがフランスを打倒する姿はおろか、おそらく国債のもたらした信用力という強さもみることなく、ウィリアム3世は事故により亡くなった。1702年のことだった。


参考文献

≪書籍≫

『新版 金融の基本 この1冊ですべてわかる』 日本実業出版社

≪webサイト≫

「世界史の窓」

イングランド銀行

 

おわりに

次回はオランダに焦点を当てます。


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